2017年春、父は朝キッチンに倒れているところを、母が救急車を呼び、救急搬送された。
糖尿病を患っていることもあったため、検査入院となった。
呂律も回らず目もうつろ。食べ物も口からこぼれる。といった状態だったそうだ
しかし、父は病室で「家に帰る!」と暴れ、点滴さえも抜いてしまう始末。
治療もできないほどの暴れっぷりで、手袋をはめられ、拘束されてしまった。
そうすると、ますます暴れ、手に負えなくなってしまった。
MRIの結果、脳の萎縮が見れる。とのこと。病名は【認知症】だった。
その日からの父は幻覚、うわごと、せん妄と、認知症の症状だ。
しかし救急車で運ばれる前日まで、なんの症状もなかった。と、思うのだが・・・
「家に帰してくれ」
「みんなで寄ってたかって、いじめる」
「俺は、どこも悪くない」
と、訴える父に、私たち家族は、「認知症」の症状だと聞き流した。
そして、2週間後、父は「認知症」ということで、ほかの病院に転院することになった。
ソーシャルワーカーさんとの結果、自宅での老老介護は無理ということで、施設入居を視野に動くことに決まった。
父は家に帰りたがっていた。車で迎えに来てくれと、私の携帯に日に何度も電話がかかってきた。
だれも信じられなくなっている父。
「お願いだから、家に連れて帰ってくれ」とか細い声で何度もお願いされた。
父は「介護度4」と認定された。
結局、母は施設にいれるという罪悪感から、自宅介護に切り替えた。
救急搬送されて半年後、父は家に帰ってきた。そして、ケアマネさん、看護師さん、お医者さん、介護用品のレンタル屋さん、母、私とで、父の「介護チーム」ができた。
家に帰ってきた父は、元の父に戻り、
あの「認知症」の症状は、まったくと言っていいほど、でなくなった。
いつものように、穏やかな日々がもどってきたのだ。
どうだったんだろう。
今考えたら、救急車を呼んだあの日、キッチンにはお酒がこぼれていた。
父は、夜中に眠れず、そっと晩酌していたのかもしれない。
そして、酔いつぶれ布団までたどり着けず、床に寝てしまった。
それを母は倒れていると思ったのかもしれない。
無理もない話だけれど。
父とすれば、「突然救急車に乗せられ、手袋をはめられ、体を拘束され、誤嚥の恐れもあるため絶食、、
何を言っても、だれも聞いてくれない。なぜここにいなくてはいけない?
どこも悪くないのに」と、訴えていたのだろう。
怒鳴る、暴れる、騒ぐを繰り返していた父は
寝ているときは、今までに見たことのないほどの衰弱ぶり。
口をぼかんとあけて、日に日に痩せていき、小さくなっていった。
夜に病院からすぐに来てくれと、呼び出しもかかった。
その呼び出しは緊急事態ではなく、
父が暴れ、看護師さんの手を振り切り、治療もさせず、「家に帰る」と大声で怒鳴る。といったことで呼び出された。
でも私たちは「認知症」と、納得していた。
家に連れて帰って、老老介護と決めた母の判断を、責めることもあった。
簡単ではないと思っていた自宅での老老介護だったが、
だんだん元の父に戻っていく様を見て、自宅介護に切り替えてよかった。と、心から思った。
それが正解だったのか・・・たぶん、正解だったんだ。と、
父は、自宅介護に切り替えてからも、病院にいたことは覚えていない。
それは「認知症」で覚えていないのか、「あまりのショック」で、自己防衛力で記憶されていないのか。
私たちも、「認知症だから・・・」と父の言動に耳を貸さず、
壊れていく父を憐れんでもいた。
私は今「あの時は、わかってあげられなくてごめん」と謝りたい。
誰が悪いわけでも、どれが正解なのかも、わからない。
たぶん、みんな父のことを思っていて、全部正解だったんだと思う。
「認知症」の症状のことをこちらで書いています。
「認知症」を早期に見極めるポイントをこちらで書いています。
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